エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』ノート
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エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』ノート
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』 ノート

Notes on "Escape from Freedom" by Erich Fromm

* このノートは『自由からの逃走』の内容を理解する補助として作成しました。

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まえおき
目次
補注
『自由からの逃走』感想


まえおき (2005/06/04更新)

 1972年(昭和47年)の沖縄返還の前後、ある集まりで、エーリッヒ・フロムの著作『自由からの逃走』 (注 1) の読書会を開いたことがある。そのとき作成したノートが、このホームページの下地になっている。ここに収録するにあたり、全面的に見直した。

 このノートは、『自由からの逃走』の内容を理解する補助として、要約・作成した。著者の考えがうまくまとめられているかどうかは、読者のご判断にゆだねます。

 エーリッヒ・フロム (1900─1980) はドイツのフランクフルトで生まれ、その後アメリカへ渡り、さらにメキシコへ移住している。いわゆる新フロイト派の代表的存在として、事実上の処女作である『自由からの逃走』はじめ、多くの著作を発表した。


ブランデンブルク門(ベルリン)

ベルリンの壁の残骸
(1991年7月撮影)

 ドイツといえば、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊、それにつづく1990年10月3日の東西ドイツ統一と、世界史上の大きな出来事があった。
 これによりそれまでの冷戦構造が表面上ひとまずこわれ、人々は新たな構造・枠組みを捜し求めて、模索を始めた。

 それ以来、東と西、北と南、資本主義と共産主義のような従来の分類法では世界の出来事を理解し分析するのがむずかしくなった、という話がよく聞かれるようになった。

 1991年にぼくはベルリンを訪れ、東西ベルリンを分け隔てるブランデンブルク門や、残骸となったベルリンの壁を見る機会をもった(右の写真参照)。
 ベルリンの壁の崩壊により一つの時代が終わりを告げ、別の新しい時代が始まったという感慨を抱いたことを覚えている。

 さて、『自由からの逃走』の初版が出版されたのは1941年、すなわち第二次世界大戦のさなか(日本では太平洋戦争が始まる頃)だった。

 フロムは『自由からの逃走』の序文で、「しかし私は、心理学者は必要な完全性を犠牲にしても、現代の危機を理解するうえに役立つようなことがらを、すぐさま提供しなければならないと考えるのである。」(注2) と述べている。ここに、世界で現実に生起している出来事に対する、フロムの学者としての態度、責任感をうかがい知ることができる。

 フロムは自由の問題や平和の問題が生涯の関心事だったが、これらの主題を追求するときに、「たんにそれを政治的あるいは社会構造上の問題としてだけでなく、社会心理的あるいは個人心理的次元に降りて」分析し議論しているところにその特色がある(注3)

 また本書の記述は、「自由と責任」、「自由と規律」、あるいはそれと関連する「権利と義務」、「権利と責任」のような対比概念を用いて自由を分析するやり方とは異なる(注4)

 フロムは、自由それ自体を歴史的背景のなかで考察し、「人類の歴史は個性化の成長の歴史であり、また自由の増大していく歴史である」と述べている(注5)。その際、自由をたんに量的なものとしてでなく、質的な面の重要性に触れている。この「自由の増大していく歴史」を、フロム流の歴史の進歩観ととらえてよいと思われる(注6)

 このように『自由からの逃走』は、おもに社会心理学的な観点から自由を分析している。
 したがって、政治家やジャーナリストあるいは庶民の視点で自由を眺め、吟味しているわけではない。
 また、自由それ自体の定義、もしくはフロム自身の考える自由の方向性について多くが語られているわけでもない。

 しかし本書のように、「自由」という命題を真正面から取り上げた例はあまり見当たらない。さらに、自由を考える上での手がかりが、本書の随所に織り込まれている。
 それが、『自由からの逃走』が出版されて半世紀以上たった今も、幅広く読まれている大きな理由の一つと思われる。

 現在は、個人・団体・政党を問わず、誰もが「自由と民主主義」を語り、標榜する時代となっている。

 その一方、自由と民主主義ということばが一人歩きし、明瞭なイメージをもって語られることが少なくなった。さらに、国政に関与する政治家たちを眺めると、政党の新旧・与野党を問わず、自由や民主主義に対する考え方の違いがわかりにくくなった。

 このホームページにお越しいただいた皆さんが、自由をもう一度見つめ直し、それぞれの自由のイメージを描くのに、このノートがいくらかでもお役に立てばうれしいです。

(堀場康一 記) 

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』ノート

目   次
第1章 自由――心理学的問題か?
第2章 個人の解放と自由の多義性
第3章 宗教改革時代の自由
   1.中世的背景とルネッサンス
   2.宗教改革の時代
第4章 近代人における自由の二面性
第5章 逃避のメカニズム (注7)
   1.権威主義
   2.破壊性
   3.機械的画一性
第6章 ナチズムの心理 (注7)
第7章 自由とデモクラシー (注7)
   1.個性の幻影
   2.自由と自発性
付録 性格と社会過程 (注7)

(作成 堀場康一)


 補注

 (注1)
 『自由からの逃走』の邦訳書には、次のテキストを使用させていただいた。

 エーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』日高六郎訳、東京創元社、1996年発行、105版(新版)

 なお、『自由からの逃走』ノートをこのホームページに収録するにあたり、株式会社東京創元社・編集部のご了解をいただいた。
 (注2)
 同邦訳書、3ページ参照。
 (注3)
 同邦訳書、336ページ、新版にさいして(訳者による)参照。
 (注4)
 権利と義務もしくは責任との対比でいえば、大前研一氏の著作『平成維新』(講談社、1989年発行)において、具体的に説明されている。
 大前氏は、個人の権利の行使と公共の福祉を対比しながら、個人の権利の濫用に対する戒めとして、「このような状況を考えると、現代では全体の利益、効用を実現するよう、憲法上『公共の福祉』の内容を明示する必要があろう」と説いている(同書、305ページ参照)。
 さらに、権利と責任に関連し、新国家運営理念の草案で次のような条項が提案されている。

 「 第12章 個人
 個人は生まれてから18年で成人する。成人するまでは家族や社会(コミュニティ、道、国)がその育成の責任を負う。……(中略)…… 成人した個人は、国民としての権利を享受するかわりに、社会に対して責任を負う。すなわち、個人は積極的に社会活動に参画し、社会および社会環境を子々孫々まで平和で安全に生活できるよう、よりよいものにしていかなくてはならない。」(同書、341─342ページ参照)。

 ここに明記されている「成人した個人は、国民としての権利を享受するかわりに、社会に対して責任を負う。」以下の一節は十分に納得できることであり、人がこの社会で生きていくかぎり、たえず念頭においた方がよいと思われる。
 (注5)
 前掲邦訳書、260ページ参照。
 (注6)
 歴史の進歩については、市井三郎氏が、その著作『歴史の進歩とは何か』(岩波新書、1971年発行)において、

 《各人(科学的にホモ・サピエンスと認めうる各人)が責任を問われる必要のないことから受ける苦痛を、可能なかぎり減らさねばならない》

 という「倫理的価値理念」を提案している(同書、143ページ参照)。これによれば、「各人が責任を問われる必要のないことから受ける不条理な苦痛がどのくらい減ってきたか」ということが、歴史の進歩の尺度となるわけである。

 フロム氏と市井氏はおのおの別個に歴史の進歩の尺度を提案しているが、それらは対立するものでなく、相互に補完し合うように思われる。
 (注7)
 第5章以降は、第4章までと比較して、簡略化された要約となっている。どうかご了承ください。(2005.6.3 追加掲載)




(Ver. 2.02 2007/11/25)
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