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憲法論議と通説

−衆参両院・憲法調査会へ提出−

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 まえおき
 本文(衆参両院・憲法調査会へ提出、2000年8月)
  1章 憲法論議に関する通説
  2章 憲法の成立に関する通説
  3章 憲法の文章に関する通説
  4章 憲法第九条に関する通説

 追記─国際社会における日本の役割
  衆議院憲法調査会へ提出の意見要旨(2001年11月)
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(2009/04/15更新)


まえおき

 この小論「憲法論議と通説」は、

・衆議院憲法調査会「憲法のひろば」係あてメールで(2000年8月5日付)、
・参議院憲法調査会事務局あて郵便で(2000年8月7日付)

それぞれ送付し、提出させていただいたものの写しです。(追記)

 2000(平成12)年1月20日に衆議院と参議院それぞれに憲法調査会が設置されました。「2000年は論憲元年」といわれることがあり、それ以来、憲法論議が進んでいます。

 改憲についても突っ込んだ議論がなされるようになり、2007年5月に憲法改正国民投票法「日本国憲法の改正手続に関する法律」が成立しました。

 さて憲法論議といっても様々な考え方があります。ここでは、これまで通説となってきた事柄を検討しました。

 取り上げたのは、次の7種類、九つの通説です。

通説1. いまになってようやく憲法論議ができるようになった。
通説2. 日本国憲法は連合国最高司令官マッカーサーの指令の下に
作られた憲法である。
通説2a.  日本国憲法は米国=アメリカ占領軍により作られた憲法である。
通説2b.  日本国憲法は米国により押しつけられた憲法である。
通説3. 日本国憲法は日本人が作った憲法でない。
通説4. 日本国憲法は国産の憲法ではない。
通説5. 日本国憲法は日本国民の承認を経ていない。
通説6. 日本国憲法の前文などは日本語になっていない。
通説7. 日本国憲法第九条は自衛隊の存在を認めている。

 通説6のところでも触れましたが、憲法全体を書き換えてはどうかという考え方が、一方にあります。

 これに対し私は、憲法の全面的書き換えでなく、アメリカ合衆国憲法のように、さしあたり修正条項(たとえば自衛権・自衛隊のあり方について記述した条項など)を追加する方向で憲法の見直しをすすめてはどうかと考えています。

 というのも、日本国憲法は、それほど時代遅れの憲法ではありませんし、また、必ずしもアメリカに一方的に押し付けられた憲法とも言い切れないからです。(堀場康一 記)



目次

1章 憲法論議に関する通説
2章 憲法の成立に関する通説
3章 憲法の文章に関する通説
4章 憲法第九条に関する通説

追記 国際社会における日本の役割



 1章 憲法論議に関する通説


 5月3日は憲法記念日。国会では本年(平成12年)1月20日に、衆参両院に憲法調査会が設置され、憲法論議が進んでいる。憲法論議を意味する「論憲」という用語も普通に使われるようになった。

 そこで憲法に関する通説をいくつか検討してみたい。

通説1. いまになってようやく憲法論議ができるようになった。

 最近国会での質疑で、このような発言をしばしば聞くようになった。この通説1は、もともと自民党や自由党の議員から発せられることが多かったが、ほかにも同調する党派・議員が増え、今回の憲法調査会設置に至ったと推察される。

 さて私は、この憲法論議はいつでもできたし、またできるはずなのに、与野党ともにあまり身を入れてやらなかった、そんな気がしている。つまり、通説1は必ずしも当たらないと思う。

 とりわけ自民党が国会で安定多数を占めていた当時は、自民党主導での憲法論議は可能だったはずである。しかし、あえてそれをやらなかったのは、野党(とくにかつての社会党)の反対を押し切って無理に憲法論議を進めれば国民の支持率低下のおそれがある、という判断が、自民党内で働いたからだと思われる。

 いまになってようやく憲法論議ができるようになったと自民党議員が公言するようになった背景には、論憲するしないにかかわらず、自民党の支持率がこれ以上大きく下がることはないだろう、という判断が働いているように思う。そして論憲をてこに、逆に低落傾向にある支持率の維持拡大を図ろうとしているという見方もできる。

 したがってこの通説1は、支持率維持・回復のための一種の選挙対策であるとも考えられる。

 もちろん、憲法論議に対する取り組みは自民党や自由党に限らない。

 近頃では、与党の自民・公明・保守の三党、野党の民主・自由・共産・社民を含む与野党全体が、偏らない包括的な憲法論議に対し前向きになってきたような気がする。本年6月25日の衆院総選挙後も、この傾向は基本的に変わっていないと考えられる。

 憲法論議を妨げる理由は何一つないので論憲結構だと、私自身は思っている。

 とはいえ論憲といっても討論にはルールが必要である。憲法調査会においても、ルールをきちんと決めて議論を展開してほしい。

 そして、たとえば短期的目標(二年以内の成果目標)と長期的目標(三年から五年以内の成果目標)を定め、実りある運営をお願いしたいものである。



 2章 憲法の成立に関する通説


 次に憲法の成立にまつわる通説をみておく。

通説2. 日本国憲法は連合国最高司令官マッカーサーの指令の下に作られた憲法である。

 昭和20(1945)年8月、日本はポツダム宣言を受諾・降伏し、第二次世界大戦(太平洋戦争)は終わった。戦後わが国は連合国に占領されたが、事実上米国による占領だったことから、この通説2は次のようにも語られる。

通説2a. 日本国憲法は米国=アメリカ占領軍により作られた憲法である。

通説2b. 日本国憲法は米国により押しつけられた憲法である。

 通説2および2aは当たっていると思う。

 通説2bは多分に感情的な問題が絡む。私自身は、米国により押しつけられたと言い通すのは生産的でないと思っている。むしろ憲法が英語でなく日本語で書かれていることから、少なくとも占領軍は日本語および日本文化の存在を認めたといえる。

通説3. 日本国憲法は日本人が作った憲法でない。

 通説3を「日本国憲法は、日本政府および日本国民の主導下で作られた憲法でない」といいかえれば当たっている。これに関連し次のような通説もある。

通説4. 日本国憲法は国産の憲法ではない。

 通説4は「国産」の定義にあいまいさが伴うので、当否の判定はあまり意味がない。世界の国々は相互に交流・依存し、単独で存在できないので、「国産」にもおのずと限界がある。

 日本は明治維新と共に西洋文化を積極的に導入した。少なくとも明治以降の日本文化は「国産」のみで成立しない。明治憲法すなわち大日本帝国憲法とてプロイセンの憲法を参考とした。

 現代の日本は食糧・石油等の資源、電話やインターネットやバイオテクノロジー等の科学技術をはじめ、外国産・外国製のものへの依存度が高い。

通説5. 日本国憲法は日本国民の承認を経ていない。

 旧・大日本帝国憲法の改正手続きには、国民投票の規定はなかったので、帝国議会の審議を経て、現行憲法は決定された。
 国民の承認を、国民投票で過半数の賛成を得ることと解すれば、現行憲法は国民投票にかけられていないから通説5は当たっている。

 ただし、仮に現行憲法を国民投票にかけた場合、国民の過半数の賛成は得られないだろうとも言い切れない。
 憲法改正論議の前に、現行憲法を国民投票にかけて賛否を問うのも、一つの方法かもしれない。



 3章 憲法の文章に関する通説


 憲法の文章に関する通説を次に取り上げる。

通説6. 日本国憲法の前文などは日本語になっていない。

 日本語になっていないから憲法を作り直してはどうかという話はときどき耳にする(たとえば東京都知事の石原慎太郎氏がこのように発言されている。「中日新聞」平成12年4月26日付参照)。

 この通説6の判定は容易でない、というのも「日本語になっている」とはどういうことか、意見が分かれるからだ。

 かりに文章が「日本語になっている」ということを、「論理的」でしかも「読みやすい」ことだとしよう。ここでの問題は、

 (1) 文章が論理的だからといって、必ずしも読みやすいとは限らない。
 (2) 文章が読みやすいからといって、必ずしも論理的とは限らない。

 (1)の例として、コンピュータ・プログラムや数学の定理の証明文などがある。このうち数学の定理の証明は公理・無定義概念・定義・推論規則などに基づいて行われ、証明文は論理的に筋道の通ったものだといえる。ただし証明文は必ずしも読みやすいとはいえず、理解するのに根気とこつがいる。

 (2)は日常会話表現にしばしばみられる。とくに家族や仲間同士で話す場合、主語をはっきり言わないことが多い。この場合主語を補えば主語述語の関係が明確になり、第三者にも理解しやすくなるが、そうすると会話らしさを失うおそれがある。

 一方「美しい日本語」または「美文」といういい方がある。これも、小説、エッセー、法律文、公用文、科学技術論文、ビジネス文、広告宣伝文、ニュース記事などにより、求められる美文の形態がそれぞれ異なり、美文としてどれが一番好ましいかは一概にいえない。

 さて私は二十年ほど前、東京で開かれたある書道展で憲法前文を見たことがある。憲法前文すべてが全紙に楷書で墨書されていた。その書を見て私は心惹かれた。見事だと思った。憲法前文も案外捨てたものではない。

 私は、現行憲法の前文はその目的や方向性が明確であり、またそれなりに「日本語になっている」と考えている。この程度の複雑構文は、科学技術論文でもしばしば見受けられ、大した問題ではないと思う。

 もしこの前文が理解しづらいというのであれば、個々の文章の構成要素を箇条書きにし、図式化するなどして、わかりやすく説明する工夫をすればよい。

 このようなことから通説6は当たらないと私は思っている。



 4章 憲法第九条に関する通説 


 もう一つ日米安保条約や日米ガイドライン関連法等との関連で、たえず論議を呼んできた通説を取り上げる。

通説7. 日本国憲法第九条は自衛隊の存在を認めている。

 憲法第九条には、「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇又は武力の行使」「国際紛争を解決する手段」「陸海空軍その他の戦力」「国の交戦権」という用語は登場するものの、自衛権や自衛隊について明快な規定がない。したがって自衛権や自衛隊に関するどのような解釈も原理的には可能といえる。

 このことが通説7の当否の判定をむずかしくしている。

 憲法公布から三年近くたった昭和25(1950)年の年頭に、GHQ連合軍総司令部のマッカーサー元帥は、日本国憲法の規定は自衛権を否定したものとは解釈できないと述べている。同年6月に朝鮮戦争が勃発してまもなく、マッカーサー元帥は日本政府に対し、警察予備隊(のちの自衛隊)の創設と海上保安隊の増員を指令した。(遠山茂樹他著『昭和史〔新版〕』岩波新書、参照)。

 このようにみると、第九条において自衛権や自衛隊を明記せず、あいまいな形を残したのは、将来を予測した占領軍の作戦のようにも思えてくる。

 ただし占領軍が自衛権や自衛隊を現行憲法の下で容認したからといって、日本国民が自衛権や自衛隊を認めたことには必ずしもならない。なぜなら、「占領軍の容認」と「日本国民の承認」とのあいだに、直接的なつながりはないからである。

 しかし戦後の日本をみると、いつのまにか「占領軍の容認=日本国民の承認」という図式にすり替えられてきたように思う。そして一般国民からかけ離れた、限られた政治の場で、自衛権・自衛隊に関する蜃気楼のような論争が繰り返されてきたといえそうだ。

 そこで自衛権や自衛隊について国民の合意を形成するために、このさい国民投票を実施し、それに基づいて通説7の当否の判定を下してはどうかと私は思う。国民投票は、たとえば次の三つの立場、

 (イ) 限定的軍備を自国で管理する立場(現在の自衛隊の延長線上)
 (ロ) 限定的軍備を信頼できる他国と共同管理する立場
 (ハ) 軍備をもたない非武装の立場

このうちどれを支持するか、というようなやり方になると思われる。

 いうまでもないが、無限定な軍備拡大はもはや許容されるものではない。

以上

(作成 堀場康一)


 追記

 この小論を両院(衆議院および参議院)憲法調査会に送付後しばらくして、衆議院憲法調査会から、2001年11月26日に名古屋で開催される「衆議院憲法調査会 名古屋地方公聴会」の案内をいただきました。

 それによれば意見陳述者を公募するとのこと。それで公述希望ということで、当日開陳する意見の要旨(800字以内)を、衆議院憲法調査会事務局気付 憲法調査会会長あてに送付させていただきました。(2001年11月12日送付)

 送付した「国際社会における日本の役割」の意見要旨は次のとおりです。

(衆議院憲法調査会へ提出の意見要旨)


国際社会における日本の役割


 世界第2位のGDPをもつ日本として、諸外国の期待に応えるためにはまず、わが国の外交・防衛政策を改善することが望まれる。

 現在わが国の外交・防衛の基本に憲法と日米安保条約がある。そのうち日米安保条約の目的は日本国および極東地域の安全・平和の確保である。つまり日米安保条約は、日米間の条約でありながら、その実質的な対象範囲は日本および極東地域に限られる。

 戦後の日本で日米安保条約が果たしてきた役割と重要性は認めるものの、その条約自体は普遍的に通用する条約とはいえない。

 したがって日米安保条約を補完し、その骨格をなすような、特定の国々や地域に偏しない、普遍的で自立した外交・防衛の基本方針確立が急務である。と同時に、このような外交・防衛の基本方針に基づき、日米安保条約(在日米軍を含む)および自衛隊を、外交・防衛上の適切なポジションに新たに位置づける作業が必要である。

 それにより中国・韓国など近隣アジア諸国との友好関係をより緊密にし、日本として一層のリーダーシップ発揮が期待できる。

 つぎに1980年代後半から日本企業の海外進出が活発になり、産業の空洞化が一般に語られるようになった。企業の海外進出の国内雇用に与える影響はたしかに大きいが、この海外進出は当面続くと考えられる。

 とすれば、日本企業の海外進出先でいかなる役割を果たすことができるか、もっと積極的に検討してよい。とくに発展途上国では、工業化の進展とともに公害・環境問題が日常的となりつつある(なっている)。

 そこで日本企業の進出先での公害・環境問題の現状を把握し、日本として、現地政府・企業に働きかけ協力して、公害や温暖化防止などの環境対策に取り組むことが望まれる。

 そのような日本企業の進出先での、政府・民間を交えた取り組みが、先進国と発展途上国との経済格差を緩和し、温暖化防止などの環境対策に、少しでも貢献すると考えられる。

以上

 2001年11月12日

堀場康一


 これに対し2001年11月16日付で、衆議院憲法調査会事務局より意見陳述選考結果の通知が届きました。
 残念ながら、2001年11月26日開催の名古屋地方公聴会の意見陳述者には選ばれませんでしたが、国際社会における日本の役割について、自分なりに整理することができました。

 あれから7年以上経過しましたが、意見陳述の要旨のなかで指摘した点、すなわち、

 「日米安保条約を補完し、その骨格をなすような、特定の国々や地域に偏しない、普遍的で自立した外交・防衛の基本方針確立が急務である。と同時に、このような外交・防衛の基本方針に基づき、日米安保条約(在日米軍を含む)および自衛隊を、外交・防衛上の適切なポジションに新たに位置づける作業が必要である。」

 この点についての議論はあまり進展していません。

 2007年1月に「防衛庁」が「防衛省」へ移行・昇格したものの、名称が変わっただけで組織体制に大きな変化はみられません。

 また政府=与党の動きをみても、特定の国々や地域に偏しない、普遍的で自立した外交・防衛の基本方針確立は、相変わらず議論の対象外のようです。

 この点をあいまいにしたままでは、日米間はもとより、米国以外の他の国々とわが国との友好関係を長期にわたり維持するのは容易でないので、注意が必要です。

以上


関連リンク

・衆議院ホームページ http://www.shugiin.go.jp/
・参議院ホームページ http://www.sangiin.go.jp/
・外務省ホームページ(日本語) http://www.mofa.go.jp/mofaj/
・防衛省・自衛隊ホームページ http://www.mod.go.jp/

・筆者の日記から
  2000年5月2日 論憲と通説(1)
  2000年5月4日 論憲と通説(2)
  2000年5月7日 論憲と通説(3)
  2000年5月9日 論憲と通説(4)
  2000年8月7日 憲法と国民投票


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(Ver. 2.11 2009/04/15)
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